1987年、塩谷マクスーダは金沢に「印度料理ルビーナ」を開きました。北陸ではじめての、 本格的なインド料理店です。当時、日本で語られるインドは「暑く、貧しい、カレーの国」。 自分の国をもっと知ってほしい——それが開店の理由でした。
食は、文化への入口です。この店は港のように働き、さまざまな文化を金沢へ運び入れました。
その店に、東京日印協会の会員だった渡辺氏が訪れます。勧められて入会し、 「石川でも同じ活動ができないか」と何度も願い出た結果、1990年6月、石川日印協会が誕生しました。 初代会長は岡部雅夫。設立趣意書にはこう記されています—— 経済交流にも増して、芸術、文化、こころの交流を。政治家や経済人の交流だけでは解決の道とはならない。 一人一人がインドの一人一人と心を開いて付き合うことで、本当の理解と尊敬が生まれる。
初めてインド大使が来県した日、女性会員たちはサリーを着て出迎えました。 大使夫妻は「日本でこれほど多くの女性がサリーを着ている姿を見たのは初めてです」と喜び、 マクスーダに言葉を贈ります。“Keep the India Flag High.” これが、いまも続く活動の原点です。
It started with a restaurant. In 1987 Maqsooda Shiotani opened “Rubina” in Kanazawa — the first authentic Indian restaurant in the Hokuriku region. Food is a gateway to culture, and the restaurant worked like a port, carrying different segments of culture into the city. Three years later, in June 1990, the Ishikawa Japan-India Association came into being.
石川県を中心に、インドという国を知ってもらう活動。
文化講座、インド料理教室、アジア交流まつり。金沢に「インドの入口」をつくった時代。
インドに、石川・富山・福井を含めた北陸を知ってもらう活動。
日印国交50周年を機に活動が反転する。石川県初の外国企業誘致、カシミール被災地への240万円送金、能登半島地震の被災地で焼いたナーン。
この二つの活動を拡大する役割。
留学生の増加、民間企業の相互進出、新幹線時代の観光。より身近な交流へ。
国連が定めた国際ヨガデーを、初回から一度も欠かさず。
2015年の第1回から2026年の第12回まで。コロナで中止した年をはさみながら、毎年6月に石川でヨガの日をつくり続けている。
設立当初の目的は「インドを知ってもらいたい」でした。それは「日本とインドの文化交流」へと変わり、 いまは経済と教育を含んだ、より広く、より身近な交流が求められています。
北陸先端科学技術大学院大学、金沢工業大学、金沢大学ではインドからの留学生が年々増えています。 石川県からインドに拠点を設ける企業も増えました。新幹線が開通し、石川の魅力をインドに伝える機会も生まれています。 36年を支えてくださったすべての方へ。これからも、会員一丸となって活動を続けていきます。
What began as “please get to know India” became cultural exchange, and now reaches into business and education. More Indian students study in Ishikawa each year, and more local companies look toward India.
1990年から2014年までは、記念誌『日印の架け橋としての25年… 石川インド協会 25年の歩み』 (発刊:石川インド協会)をもとに構成しました。2015年以降は、協会の年次活動報告および行事記録によります。